思い出を訪ねて ~第5回~ (萩原正明会長)

思い出を訪ねて ~第5回~ (萩原正明会長)
農業技術大学園
思い出を訪ねて ~第5回~ (萩原正明会長)
昭和47年 移転直前の農業技術大学園

 「至上命題の資格試験の受験」

(滑り止め)
 半世紀も前のことであるが、私が当時農業技術大学園の頃、改良普及員の資格を取得することは大学園に入学した以上当然、当たり前のことと感じていたものです。そのために中御所の木造寮の押し入れ個室に閉じこもり付け焼刃の勉強にいそしんだものです。
 資格試験は国家試験であるものの試験は県単位で行われ、試験問題も各県で作成されるものでした。長野県で落ちることも想定し県外に滑り止めを確保することは当時皆行っていました。
(神奈川県へ)
 私も試験日程から神奈川県が丁度良かったため願書を出し準備を進めたところです。神奈川県の試験は平塚の試験場が会場で2日間でしたが若かったこともあり宿泊場所も決めず駅で寝てもいいやとの思いで信越線の夜行で出かけたものです。当然、朝早く平塚についたものの当時、コンビニなどあるはずもなく早すぎて朝食をとる場所がなく仕方なく試験場に行き朝食抜きで試験に臨みざるを得ず腹がすいたことを思い出します。
 丁度、生活科から生活改良普及員資格の受験のため1人が来ており、彼女は宿をしっかり確保し、万全の態勢で試験に臨んでいました。
その宿は試験場に併設された施設で、宿もない駅に泊まるなどと言う私に彼女は試験場に聞いてみたらと促され泊まれるかどうかお願いしたところOKをいただき一安心したものです。当然、その日の昼めしもOK。ありがたかったことを思い出します。
(試 験)
 試験内容は覚えてもいませんが、長野県の試験内容と比べ総論が多かったような気がします。まあまあ記述も出来、滑り止めとしてはまずまずとの思いで帰って来ました。結果は合格をいただき、長野県も合格で大いに安心をしたことを思い出します。
 それにしても、資格は取ったものの現場での指導とは別物と言うことは農業改良普及員に採用されてから即わかりました。浅い知識で業務をした若かりし頃、農家の皆さんや先輩諸氏に大きな迷惑をかけたものと今更ながらに反省をしています。

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